カテゴリ:里山の今昔( 4 )
里山と巻貝の意外な関係
赤道再生プロジェクトで里山道の舗装材として使われているのはバカガイですが、これとは別に里山ととてもかかわりの深い貝があるのをご存知ですか?

その貝はイボキサゴという名の直径2cmほどの巻き貝。
東京湾岸が埋め立てられる前には里山のある久保田地区の海にも大量に生息していました。
そしてこの貝が稲作に重要な役割を果たしていたのです。

イボキサゴ(この地域ではキシャゴと呼ばれていた)漁が始まった時期は定かではありませんが、昭和のはじめごろまでは獲った貝を水田に鋤き込んでいました。
化学肥料が普及する以前のこの時代、イボキサゴは水田の肥料としてミネラル分を供給するとともに除草の効果も期待されていたようです。
現在ではヤドカリのマイホームくらいの需要しかないイボキサゴも、かつては農業には欠かすことのできない重要な貝だったのです。
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ちなみにこの貝、時代を一気に遡って4000年ほど前の縄文時代には食用にされていたようです。
袖ケ浦市で著名な貝塚、山野(さんや)貝塚では出土する貝殻の実に80%以上がイボキサゴ!
もちろん小さな貝なので主食にしていたわけではありませんが、その出土量からダシや調味料として煮込み料理に使われていたのではないかと言われています。

現代でも味噌汁の具材にするといいダシが出ておいしいみたいですよ。


written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2011-09-17 21:42 | 里山の今昔 | Comments(0)
里山道とお墓の関係
季節が巡るのは早いもので今はちょうどお盆の時期、袖ケ浦市内でもお墓に花を供える光景がよくみられます。

久保田地区も例外なくそうした光景が見られるのですが、墓域が集落のある川沿いではなく背後の台地上(里山)にあるのが特徴です。
これは蔵波、飯富、根形地区なども同様で集落背後の台地の縁にスダジイアカガシ、マテバシイなど常緑広葉樹に守られるかのようにして点在しています。

江戸時代から続く里山道土のままの状態で約4.5km 残る久保田の里山では、このお墓の点在が道の存続に重要な役割を果たしているようです。

道の役割をお墓との関係でいくつか上げると・・・

①命日、春・秋の彼岸、お盆など墓参の道
②草刈りなど墓域を管理する道
②親類の墓域とをつなぐ道
③墓石を運び上げる機材が通る道


こうした年間を通じた人の往来があったことに加えて、台地上に一部拓かれていた畑の維持管理が土のままの道を百年以上存続させてきた原動力になったのではないでしょうか。
お墓が台地上にあったからこそ里山の役割が低下した現代でも、人が里山と関わる大きな理由になっているのです。

ちなみに生活道路としてのみ機能していたかまくら街道が集落間をつなぐ道路が整備されたことによって、一時期消滅していたこともこれを裏付けます。

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熊手で掃き清められた里山道。
落ち葉が積もりやすい山道では境目が一目瞭然、掃除をした人の心まで伺えます。
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現在のかまくら街道。
墓域に至る部分は維持されていましたが、それ以外は竹林で閉ざされていました。
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written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2011-08-14 21:23 | 里山の今昔 | Comments(0)
江戸時代の里山道
久保田の里山を縦横にはしる里山道の長さについては前回書きましたが、古い地図と現在の里山道を照らし合わせると、意外にも重なる部分が多く存在していることがわかりました。

そこで今回は江戸時代から続くと思われる里山道に焦点を当てて見ていこうと思います。
江戸時代といっても当時の久保田村の地図は知る限りでは存在していません。
この時代で地図といえば伊能忠敬大日本沿海輿地図が有名ですが、これは国防目的に作られた海岸線の地図。
久保田村の地名は登場するものの道は記されていません。

詳細に道が記された地図で最も古いのは陸軍陸地測量部作成の地図【明治15(1882)年測量】まで時代を下らなければならないようです。
明治維新からわずか15年、江戸時代の面影を多く残すと推定されるこの地図を、少し乱暴ですが江戸時代の道を認定する根拠としたいと思います。

明治15年当時の袖ケ浦市北部の様子。
緑線が当時から現在に残る舗装路赤線が未舗装のまま残る土の道。右上の久保田地区に土の道が大規模に存在しているのがわかります。
※画像はクリックで拡大します
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現在の里山道から江戸時代の土の道だけを赤線で抜き出したのが下の地図。
総延長12.5kmのうちかまくら街道をはじめとする4.5kmが未舗装のまま当時の面影を残していることが確認できました。
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written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2011-05-30 22:14 | 里山の今昔 | Comments(0)
地図と写真で見る里山の今昔
久保田の里山に限らず土地に歴史ありということで今回は、インターネット上で過去の地図や航空写真を閲覧できるサイトを紹介します。
もちろん、久保田地区だけではなく袖ケ浦市内外を幅広くカバーしているので「ふるさとの昔の様子を見たい」なんていうニーズにも簡単に答えてくれること請け合い。
家に居ながらに過去の風景に出会えるなんて、便利な世の中になったものです。

歴史的農業環境閲覧システム http://habs.dc.affrc.go.jp/index.html
このサイトは明治初期の2万分の1地形図をもとに当時の土地利用の様子を色と文字で表現したもので、現在につながる部分も多く発見できますが年代的に江戸時代末期の土地利用とみて差し支えないでしょう。

国土変遷アーカイブ http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
こちらは日本全国の高精細な航空写真が見られるサイトで、東京都心部では戦前、郊外では昭和20年代から現在に至るまでのものが見られます。
内房地域では埋立てや団地の造成が行われる前の台地や谷津などが目視できるので、地形図以上のリアリティー。

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「久保田村」の文字の上、青い道が6本合流しているあたりが果樹園。東へと伸びる「かまくら街道」もはっきりと確認できます。台地上は「松」ばかりで今の常緑樹、落葉樹主体の森とは大違い。
※画像はクリックで拡大します
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画面中央の更地(畑)が現在の果樹園。「かまくら街道」の道筋もうっすらと見えていますが今よりも樹木が少ないのが印象的。撮影された1961年には浜宿団地や長浦駅前はもちろんコンビナートもありませんでした。
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written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2010-11-01 22:27 | 里山の今昔 | Comments(0)