カテゴリ:文化遺産( 7 )
西国三十三番霊場石碑
 袖ケ浦市久保田、笠上観音正福寺の裏山に点在する石仏群。
 西国三十三番霊場とは和歌山、大阪、奈良、京都、兵庫、滋賀、岐阜の7府県に点在する寺院群を指し、西国三十三番霊場への巡礼は718年、第8番札所の長谷寺(奈良県)の開基、徳道上人によって始められたと伝えられている。

 一般に寺院を巡って参拝する人のことや参拝そのものを「巡礼」と呼び、日本には観音様をおまつりしたお寺を巡礼する習慣が室町時代ごろから伝えられている。
その最古のものが「西国三十三ヶ所」への巡礼であり、他に関東地方の「秩父三十四ヶ所」、「坂東三十三ヶ所」がある。
 この西国、秩父、坂東の札所すべてを参拝すると、その数が100になることから百観音の巡礼として多くの人々から信仰を集めている。
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正福寺の石仏群に話を戻すと、これらは明治の終わりから大正初期にかけて久保田地区の住民が奉納したもので、石碑には奉納者の名前のほか観音像、寺院名、札所番号が線刻で彫られている。

奉納の目的は定かではないが、富士塚と同様、長旅が難しい子供や老人がこれらの石碑を周り、巡礼したのと同様のご利益を得たのではないかと思われる。
また、これらの石仏群は地域の枠を超えて信仰を集めており、県道沿いには姉ヶ崎の人が建立した霊場案内の石碑も現存する。

現在では広域的な信仰は廃れたものの、春と秋の彼岸のころに久保田地区で死人の出た家の住人が「札打ち」といって正福寺で発行される札を石碑に貼り付けていくという風習が残っている。

十四番札所 近江国三井寺 (画像はクリックで拡大します)
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二十八番札所 丹後国成相寺
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里山の尾根に立つ建立記念石碑(奥)と九番札所 大和国興福寺南円堂
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by SATOYAMA-walker | 2013-05-16 21:55 | 文化遺産 | Comments(0)
消えた参道ルート
笠上観音正福寺へと至る参道のひとつ。

旧国道16号線(かつての房総街道)から南南東方向に斜面を登って300mほど先の笠上観音および西国三十三番霊場石碑につながっていた。

現在は参道入口の目印として石碑が2本あるものの、竹林に行く手を遮られ通行不能になっている。

石碑の銘は

石碑(大) 表:笠上山観世音 西国三十三番(以下地中)      
        裏:大正二年(1913)三月建 姉崎町 斉(以下地中)

石碑(小) 表:笠上観(以下地中)      
        右:昭和六年(1931)(以下地中)

となっており、市原市方面からの参拝者が久保田の集落を迂回して笠上観音へ至る近道として参道を整備したものと思われる。
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旧国道16号、現在の県道287号線に面して建つ石碑。
大正期に石碑が建てられた頃は前年に内房線が木更津まで開業し、道路の向こう側には遠浅の海が広がっていた。
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by SATOYAMA-walker | 2012-06-26 21:00 | 文化遺産 | Comments(0)
旧笠上観音跡
袖ケ浦市久保田笠上に存在した笠上観音の跡地

明治6年(1873)に堂宇が廃されたのち、本尊は南西へ約1.5km離れた正福寺へと移され笠上観音正福寺となって現在に至っている。

往時の笠上観音は袖ケ浦市市原市をまたぐ笠上山の南西側斜面の標高30~35mの台地上に位置し、東に房総往還、西に東京湾を望む立地条件であった。
〈画像はクリックで拡大します〉
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現在、笠上観音の存在した台地は数十年前に削り取られ県道とほぼ同じ高さの更地となっており、地形は大きく改変されている。
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そのため寺院の存在を感じさせるものは皆無に等しいが、唯一、笠上公民館裏に宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基礎や参道に使われていたとみられる石材などが残されており、往時の様子をわずかに窺い知ることが出来る。
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このうち宝篋印塔の基礎には

享和二年壬戌四月吉日
市原郡松ヶ嶋村(現在の市原市松ヶ島)
田中四良三 田中清重良

の銘を読み取ることができ、旧笠上観音が内房地域で広く信仰を集めていたことが窺える。


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by SATOYAMA-walker | 2012-02-25 13:05 | 文化遺産 | Comments(0)
笠上観音正福寺
宗派は真言宗智山派

本寺は寛政年間(1789~1801)に火災で記録を消失しているため、開基、由緒などは不明。

もともと久保田地区の菩提寺であったが、明治6年(1873)まで笠上山中腹に存在した旧笠上観音の堂宇が廃されたのち、本尊が正福寺に移され笠上観音正福寺となった。
このため本堂には本尊以外にも須弥壇宮殿(くうでん)をはじめ、賽銭箱絵馬仁王像など数多くの部材が引き継がれている。
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本尊の聖観世音菩薩坐像は天平年間(729~748)に東国巡錫(じゅんしゃく)中の僧行基が自ら彫刻したものと伝えられ、座高は1mほどであるという。
密教寺院であるため秘仏として本尊を拝むことはできないが、33年に一度ご開帳が行われる

明治以前より「久保田の観音さま」として信仰が厚く、おできや皮膚病の治癒、厄除け、子どもの健やかな成長を祈願する人々が集う場所として、この地に移転したのちも今日に至るまで地区内外から広く信仰を集めている。

毎年4月29日には、12歳までの子どもを対象にした虫封じの祈祷が催され、キティーちゃんお守りの寺としても有名。

また境内裏手の斜面には西国三十三霊場石碑 があり、里山への入口にもなっている。

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旧笠上観音より移設された絵馬。
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同じく仁王像。
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下陣に半分埋め込まれる形で置かれている巨大な賽銭箱や長辺が4mもある須弥壇は、かつての笠上観音の規模を物語る。
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by SATOYAMA-walker | 2012-02-11 21:17 | 文化遺産 | Comments(0)
もうひとつの街道、房総往還
袖ケ浦市久保田地区にはかまくら街道とは別に江戸時代以前から内房地域の幹線道路として利用されてきた、房総往還(上総道、房州道、江戸道とも)という古道があります。

房総往還は船橋で佐倉道と分岐し千葉木更津などを経て安房方面へと至る道で、市内では県道287号線(旧国道16号)に相当します。
そのうち、袖ケ浦市久保田笠上から市原市椎津にかけては急峻な崖と東京湾に阻まれ、海岸沿いの通行が困難だったため現代の県道とは違う台地上に道が造られていました。

明治以降、県道が今の姿になった後もこのエリアだけはアスファルトで舗装されることなく、往時の姿のまま近年まで残されてきました。

下の写真は10年ぶりに訪れた2012年の房総往還の様子です。

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房総往還の残る笠上山市原市椎津付近から望む。
国道16号線を市原方面から走ってくると道の先に壁のように見える山がそれで、かつては寛政の改革を行った松平定信や日本地図を作った伊能忠敬が通ったのもこの山。

現在では麓を県道のほかJR内房線が通っているため、知らず知らず通過している人も多いはず。
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入口から100m程のところに建つお堂はかつてこの地にあった、笠上観音(明治6年に現・笠上観音正福寺に移転)の名残。
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竹林の脇を抜けたところでコンクリートの舗装が終わり山道へ。
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左右に現れる斜面の傾斜を緩和するための切通し
幅約6m、最も高いところで3mほどの高さがあり房総往還の遺構としてはこの山で唯一のもの。
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掘り割りを過ぎてしばらく進むと視界が急に開けて姉崎方面のコンビナートが。
本来はこの先も道があるのですが、奥にあった畑が耕作放棄されたためか雑草が生い茂っていて先に進むことが出来ずUターン。
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眺望の開けているところはよく見るとがけ崩れの跡がくっきりと。
この道は管理者の不在に自然の浸食作用も加わって消滅の危機にあるようです。
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来た道を戻って竹林の手前あたり。
ポールの右脇奥に見える坂を登って行くと代宿(旧代宿村)を経て、会が里山活動をしているかまくら街道へとつながっています。
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念のため椎津側の入口(Docomoアンテナ下)を確認するとこちらもすっかりヤブ化。
これで全長約600mのうち半分以上が通行不能になっていることが確認できました。
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by SATOYAMA-walker | 2012-01-19 22:12 | 文化遺産 | Comments(0)
久保田八幡神社
久保田川沿いに連なる集落の一角にある神社。

その昔、上久保田本郷に京都男山の石清水八幡宮を勧請したものを1580年(天正8)に遷祀したと伝えられています。

毎年1月15日に湯立ての神事が行われ、その湯をかけられると疫病除けになり、その釜の湯を飲めば風邪を引かないとか。
また、熊笹や湯を沸かした薪の燃え残りを持ち帰り、注連縄で縛って門口に吊るしておくと災難除けになると言われています。

八幡神社の大祭はもともと10月15日に行われていましたが、勤め人が増えたことから現在では15日前後の日曜日に行われるようになっています。
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by SATOYAMA-walker | 2012-01-05 21:42 | 文化遺産 | Comments(0)
山岳信仰と里山
久保田集落の海側の入口近く、県道287号線(旧国道16号)の南東側尾根には出羽三山登山を記念した石碑と「富士嶽神社」と刻まれた石碑が建つ塚があります。

どちらの山も江戸時代より山岳信仰の対象として一般の人たちが訪れるようになり、久保田の周辺でも蔵波や姉崎などに同様の石碑や塚が見られます。
こうした石碑はいずれも見晴らしがよく利き集落にも近い高台、すなわち森林内にあることが多く里山の文化的な景観要素のひとつとなってきました。

自然や衣食住の面から注目される里山ですが、信仰や先祖の霊を祭る文化的な場でもあるのです。

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出羽三山の石碑は全部で5基。裏面には大正期から平成5年までに三山を訪れた地区の人たちの名前が刻まれています。
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「富士嶽神社」の石碑があるのは高さ2メートルほどの塚の上。
今では周囲に木が茂って見ることはできませんが、昔はここから富士山がよく見えていたはず。
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信仰の丘の下はこんな景色。
干潟の埋め立てが行われる以前は線路のすぐ向こう側は海で、隅田川の花火や東京タワー、白い帆を張った打瀬舟などがよく見えたことでしょう。
ちなみにここからもスカイツリーが見えるのではと期待していたのですが、コンビナートの真っ只中で無理でしたww
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written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2010-10-27 21:21 | 文化遺産 | Comments(0)