里山道とお墓の関係
季節が巡るのは早いもので今はちょうどお盆の時期、袖ケ浦市内でもお墓に花を供える光景がよくみられます。

久保田地区も例外なくそうした光景が見られるのですが、墓域が集落のある川沿いではなく背後の台地上(里山)にあるのが特徴です。
これは蔵波、飯富、根形地区なども同様で集落背後の台地の縁にスダジイアカガシ、マテバシイなど常緑広葉樹に守られるかのようにして点在しています。

江戸時代から続く里山道土のままの状態で約4.5km 残る久保田の里山では、このお墓の点在が道の存続に重要な役割を果たしているようです。

道の役割をお墓との関係でいくつか上げると・・・

①命日、春・秋の彼岸、お盆など墓参の道
②草刈りなど墓域を管理する道
②親類の墓域とをつなぐ道
③墓石を運び上げる機材が通る道


こうした年間を通じた人の往来があったことに加えて、台地上に一部拓かれていた畑の維持管理が土のままの道を百年以上存続させてきた原動力になったのではないでしょうか。
お墓が台地上にあったからこそ里山の役割が低下した現代でも、人が里山と関わる大きな理由になっているのです。

ちなみに生活道路としてのみ機能していたかまくら街道が集落間をつなぐ道路が整備されたことによって、一時期消滅していたこともこれを裏付けます。

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熊手で掃き清められた里山道。
落ち葉が積もりやすい山道では境目が一目瞭然、掃除をした人の心まで伺えます。
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現在のかまくら街道。
墓域に至る部分は維持されていましたが、それ以外は竹林で閉ざされていました。
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written by  えい

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by SATOYAMA-walker | 2011-08-14 21:23 | 里山の今昔 | Comments(0)
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